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◉ 位 置 : 全羅南道康津郡道岩面万徳里橘洞
◉ 問合わせ: 茶山草堂(061-430-3344)
◉ 概 要 :
康津は茶山丁若鏞が18年間流配生活をした所である。康津邑東門の外で8年間留まった後に、この茶山草堂で「牧民心書」、「経世遺表」など 500余巻以上の著書を残した。
茶山は英祖38年(1762)京畿道広州で生まれた。字は美庸、頌甫であった。号は後日に聖人を待っても迷惑さがないという意味の俟菴または茶山と名付けた。茶山は南人系列の在野勢力であった。正祖 (在位 17761800) の時代には党争緩和のために各派を平等に登用する蕩平(とうへい)策が採られた。しかし純祖(在位 180034)が幼少で即位すると,大王大妃金氏 (英祖の妃、正祖の継祖母) の垂覧(すいれん) 政治が行われ、王妃の父で老論辟派のリーダーであった金祖淳が実権を握って時派(正祖にくみしたもの)を抑圧した。時派には老論の一部も含まれていたが、南人時派には天主教徒が多かったので宗教弾圧に発展し、1801年2月22日禁教令が出されるにいたった。いわゆる辛酉教獄(しんゆうきょうごく)で1801年(純祖1年、干支は辛酉)に起きた天主教徒弾圧事件で、丁若鏞は康津へ、兄の鄭若銓は黒山島へ流刑に処された。康津に着いた丁若鏞は「北風が雪を降りつけるように私を追い込ませて遠く遠い南の康津の飯屋に投げてしまうなんて」という自嘆の詩を残した。.
茶山草堂は元来、橘林処士の尹端の山亭であった所として、茶山は外戚である海南尹氏一家の好意でここに移り、東西庵を造って弟子だちを教えながら著述活動に励んだ。草堂は瓦葺きに変わり、茶山が残した遺跡としては草堂の前庭に松かさを焼いてお茶を沸かして飲んだ茶造、旱にも乾くことない澄んだ泉が湧いてくる若川、草堂へ移住した後、海辺の石を集めて造ったという蓮池釈迦山と流刑の赦免を前にして自身が留まったということを知らせる意味で刻んだ貞石岩が鮮明に残っている。当時、茶山が寄居した家は長い歳月で腐ち潰され、今は新たに東庵、西庵が茶山草堂を中心にして建てられている。
茶山についてわが国の史学者である鄭寅普は「茶山一人に関する研究は、すなわち、わが国に関する研究であり、わが国の魂に関する研究であるし、わが国が生きて死んだことに関する研究」と述べ極讃するほど立派な学者で、画家で、思想家であり、教育者だった茶山であった。茶山草堂の左方へ行けば丘岡浦が見える天一閣がある。
◉ 茶山遺物展示館
1999年茶山丁若鏞先生の生涯と業績などをやさしく理解できるように茶山草堂の南から約700m地点に茶山遺物展示館が建設された。
観覧時間: 09:00 ~ 18:00 *冬期(11~2月) : 09:00 ~17:00
年中無休
◉ 交通便(バス)
光州 ⇒ 康津共営ターミナル
直通 06:00 ~ 21:30 (所要時間1時間30分、配車時間30分)
直行 05:00 ~ 22:05 (所要時間1時間40分、配車時間20分)
康津バスターミナルから橘洞行の郡内バス 06:40~19:20 11回運行、 所要時間25분
◉ 交通便(乗用車)
湖南高速国道 ⇒ 13番国道(城田面 三叉路) ⇒ 2番国道(康津邑) ⇒ 18番国道(海南方面) ⇒ 鶴鳴里(左折) ⇒ 徳南里 ⇒ 海倉 ⇒ 万徳里
◉ 主要案内電話番号
康津郡庁文化公報課 061-430-3224
康津バスターミナル 061-432-9777
康津交通郡内バス 061-432-9618
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